振り子

今日は辻希美さんと杉浦太陽さんの会見がありましたね。

僕は見ていないんですけど、ネットニュースで写真見たら本当に幸せそうでした!

しかもお似合いカップルでした!!


この件について、いろいろな場所でいろいろな人のいろいろな反応を目にすると。

他人様の書いたこと(=他人の考え)にケチをつけている、自分の考えと違うからって罵倒している人も多くいて、仕方ない人たちだなぁと不愉快になったりもしました。そんなの他人に対して言わず、シンプルに自分がどう思ったかを表せばいいじゃん。価値観が違うなら違うでいいからさ、罵倒するのはあまりにも程度が低いぜ。カッコ悪いし。


今回、結果祝福できる人とどうしても受け入れられない人、両方いると思うんですよ。

でも僕はそれでいいと思ってるし、いて当然。そういうもんだしね。

だからお互いやりあっても仕方ないよ。何にも生まない。

先に手を出すほう(罵倒する人たち)はモヤモヤを怒りに変えて矛先を何かに向けなければ気が済まないみたいで、矛を出すんだけど、それを闇雲に振るってもモヤモヤはなくならないよ?余計モヤモヤするよ?


ビートたけしの著書『愛でもくらえ』でこんな言葉がある。

「振り子の愛情論」。


ここに振り子があるとする。静止した状態の、錘が垂直に下りている真ん中がゼロ点で、振幅の片側が暴力、反対側が愛だとしたら、激しい愛という点から錘を放せばその振り子は激しい暴力に変わる可能性がある。一〇〇の暴力は一〇〇の愛に変わることがある。物理で言うポテンシャルエネルギーだけど、一〇しか愛してないやつはどうしたって一〇〇の暴力はふるえないことになる。


(中略)


だめなんだ、みんなわずかな振幅に閉じこめて、せいぜいプラスマイナス五ぐらいの範囲でしか運動させてないから。一〇〇のエネルギーでもってガンガンやらなければだめだ。もっと激しく、鬼のような顔して叩かなければだめだと思う。


*祥伝社刊 ビートたけし『愛でもくらえ』より 一部抜粋


これを昔読んだ時、なるほどなーって思ったことがある。

つまり激しい怒りの感情を相手に純粋に向ける人は、その人を激しく愛している可能性があるということ。

だから、辻ちゃんに対して、または当事者に対してものすごく怒っている人の気持ちっていうのは、何だかんだいって盲目的に信じている僕のような人と根っこの部分は同じなわけで、理解できるし共感できる。ま、怒っている人はもっとイラッと来るかもしれないけどね(笑)


ただ解せないのは、怒りの対象を少しズラしている人たち。

「信じている」人たちに対して罵詈雑言を吐いたり、いつものように事務所に対して責任を求めたり、仕事に穴を開けたり避妊の観念といった社会的責任や個人的主観の違いを武器に叩いたり。挙句には勝手な推測で関係ない矢口真里さんまで叩く始末。


完全に変な方向いっちゃってるな~と思うのよね。愛情の振り子にもなってない。鬼のような顔して他のところを叩いたらダメだって(笑)

たとえそっちに行きかけても「振り切れ」ばいいのに。

それこそ本当の中途半端だと思います。


今、過去のハローのニュースに対するファンの反応を振り返ると、毎回こうした「ズラし」があることに気づく。もっと一直線にガーッと怒ればいいのに。自分の感情に自信がないのか、はたまた自分に自信がないのか。

そこはぜひ自信を持っていただきたい。



さてね、記者会見も終わったことですし、そろそろこの話題も一段落です。

そろそろ違う話題について書こうっと。