粋になれ

そんな感じで「落語おもしろい!」「歌丸師匠キャワ!推せる!!」「今日から俺、歌丸ヲタになるよ」とかハイテンションだったわけだけれど、それとは別に考えさせられる出来事がありました。前述した演芸評論家の方のこと。

前半の対談ではうんちくや補足説明を入れて歌丸さんの話を止めてしまっていたことは書いた通りなんだけど、そこは別に許せるわけです。あくまで対談だし、その立ち位置から話をすればそういう格好になるのはわかる。仕事だもんね。だから僕だって引っかかりはしたけど、黙って聞いていた。

問題はその後。歌丸師匠が『真景累ヶ淵』を話し終わった。で高座でお辞儀をして立ち上がる。当然僕ら観客は万感の思いをもって拍手をする。楽しい話を聞かせてくれた感謝の意。そこでだよ、パッと下手から演芸評論家が現れた。未だ歌丸師匠は高座から降りきってないのにマイクで「歌丸師匠ありがとうございました」なんて言ってる。その後歌丸師匠が舞台袖へと去るまで、僕たちは拍手をしていたい。それが当然だし自然な気持ちだった、それなのに何かマイクで僕たちに向かって喋ってる。拍手でよく聴こえないんだけれど、なにか説明をしてるっぽい。僕たちは去り行く噺家・桂歌丸に拍手をしているのに一介の演芸評論家がマイクでなんか喋ってるものだから、結局なんだか拍手しづらくなり、歌丸師匠が消えたと同時に即拍手を止めてしまった。

演芸評論家は拍手が止んだ後もグダグダとうんちくと説明を繰り返している。それは落語を聞く前の段階ではある意味必要だったかもしれない知識だ。けれど今は噺を聞いた直後。そんなものはもう必要ないし、実際聞いていても今この瞬間にどうしても必要な知識には到底思えない内容だった。あーあ、浸りたい気分だったのに台無し。全く粋じゃないね。本当に演芸ってもんを知ってるの?知識だけのとんだ頭でっかちだ。

僕がイライラしてきたところで(たぶん観客も飽きていたもしくは呆れていたと思う)、いきなり舞台上に普段着に着替えた歌丸師匠が下手から登場。あまりの普通っぷりに誰かと思ったほどだ。ポロシャツにスラックスという出で立ちでのっそりと歩いて出て来たおじいちゃんは、何をするかと思えば高座の横にあったお茶を取りに来て、そのまままた立ち去ったのである。拍手喝采する観客。

演芸評論家は完全に話に水を差された形になってウンチクタイムは間もなく終わった。
僕は思った「歌丸師匠は絶対狙って出て来た」。
観客の空気を読んだのである。演芸評論家は自分の知識をひけらかすのに夢中で空気が読めない。観客は辟易している。だから出て来た。そうでなければ高座の横に置き去りにされた冷めたお茶をわざわざ取りに来る必要性なんてこれっぽっちもないわけだ。楽屋で熱いやついくらでも飲めるもの。

舞台を観てて、ライブを観てて、こういう局面はよくある。空気を読めない客はこの演芸評論家と同じ。特に演芸評論家のように対象について一定の知識や経験を持っている「おたく」には、常に「自分とこの場」しか存在せず、その場に(対象をも含めた)他人がいることに気がつかない。自分、自分、で精一杯になる。大変なのはいつも純粋に楽しもうと思っている周囲の人間だ。

全く、粋じゃないね。それを野暮というのだ。
楽しみ方は十人十色、そんなことを言うけれど。
でも、僕は粋な客でいたい。野暮な客なんて真っ平御免だ。