「当たり前」にならないために。

ごめんなさい、ちょっとさっき上で書いたハロコンの「カラオケコン」について大訂正。

ちょっと肉食獣更新というか右翼みたいな更新というか、激しいので注意。読んで気を悪くされたら申し訳ありません。


あとコンサートの内容について少しネタバレ言及するので注意してくださいませ。

ネタバレ改行。




川‘~‘)||<ね

川‘~‘)||<た

川‘~‘)||<ば

川‘~‘)||<・・・・・


( ゜皿 ゜)<レダ!レダ!レダ!!




他サイト様でチラホラしか見ていなかったハロコンのセットリストの中に、よく見るとワンダフルハーツ組の『スクランブル』が入ってて逆上しました。

「気づくの遅いよ!」ってツッコミも甘んじて受けましょう。自分がライブ行けないから文字面をサラッと流して見てただけで、いまいちピンと来なかったんです。でも「その状況に自分がいたら」と想定して見て初めて感情的に来た。


まずは『スクランブル』から来て、あとはもう全部が全部癇に障って来ました。もちろん『I & YOU & I & YOU & I』も『LOVE涙色』も他人が他人の曲を歌っているの全て。

何で僕はさっきの更新で「話のわかる大人」のフリしてるんだ、バカじゃないかと。書いたことは間違っては無いと思うけれど、ちょっと寛容になってる自分に腹立ちました(笑)


こうやって麻痺していくわけですよ、ファンも、スタッフも。「もういいかな」ってね。

そうなってくると最終的にはどこが麻痺するか。

それは本人たちですよ。歌っている本人たちまで、それが当たり前になっていく。


選曲した人間が「当たり前」になり、受け手である僕らファンも「当たり前」になれば、自然と歌い手も「当たり前」になるんですよ。「当たり前」って怖いね、みんなでゆっくりと麻痺して末には壊死する。危ねぇ、気づいてよかった。諦めたらそこで試合終了だった。


これは僕自身への自戒のためにも書いておきたい。

こういうことに関して寛容になってはダメだ。「今」を楽しむ僕だって、「与えられたものをどうにかして楽しむ」のが得意なハローファンだって、「嫌だ」と思ったならばそこは全力で抵抗すべきであります。


ここはファンが喜んでるのが一番いけない。や、本当に心から喜んでる方ならそれでいいので何も言わないんですけど、少しでも引っかかる方や時間をかけて消化納得した方は喜んではいかん。ハローの皆さんがカワイイから、頑張って歌ってるからって喜んではいかん。喜んで享受することは、確実に自家中毒に拍車をかけることになるのです。


反対にこの流れを止められるのもファンだけです。

彼女たちの歌を愛するなら、製作側に口を酸っぱくして物申した方がいい。ぶっちゃけ、それしかこの流れを止める方法は無いのですよ。


「彼女たちが良ければ、それでいい」「彼女たちが納得しているなら、それを支持したい」。

あー、それは当然の意見です。僕もそう思います。でもさ。

僕らファンの気持ちはどうなるの?と。それもやっぱり大事にしましょうよ。思い入れあるんでしょ?好きなんでしょ?だったら声を大にして物申すべきです。肯定し享受するのも愛ですが、心を鬼にして意見するのも愛であります。

歌っている本人たちだって、ファンの気持ちをちゃんと説明すればわかると思うんです。


なんかさ、どうにかならないかな!どうにもできないのか!!こんなに無力なのか。誰かいい案を教えてくれ。サイリウムの色とか揃えてる場合じゃねえよ。そんな凄いことできるならこっちもどうにかできるんじゃないかな?タンポポの色に染まったサイリウムの数だけの意見が集まれば、あるいは。


暴力的といってもいいほどの乱文で本当に申し訳ないです。

でもこのテーマは2006年のそしてこれからの重要な課題の1つになると思うのです。