『矢口真里』

今年の紅白歌合戦ではファンサイドでの予想&希望どおり、キッズが出演し夏まゆみ先生の振り付けになりましたね。メンバー的には、ほとんど『HPオールスターズ』ぽい。ま、だからといって『ALL FOR ONE&ONE FOR ALL!』を歌ってくれとは思いませんけれども。


紅白を迎えるにあたり書いておかなければならないのは、矢口真里についてことである。「書いておかなければならない」という意味は、自分の気持ちをこの機会にまとめておきたいという個人的な意志であります。


多くのファンが、今年の紅白において『ドリームモーニング娘。』が『LOVEマシーン』を歌うと決まった時「ドリームモーニング娘。→矢口出演」と考えたのでしょうが、僕もまたその報を聞いた時真っ先に同じことを考えました。

その時、時流に乗ってすぐ言及しようかとも思ったんですが、何故か書けずに今日までもつれ込む。ただ、紅白で彼女の姿を見る前に書いておいたほうが自分にとっていいかもしれない、とは思っていました。


さて、僕は矢口真里のファンであります。


彼女に対しては、やっぱりラジオを聴いていたっていうのが大きいんですけど、すごく身近な感じがしてました。『オールナイトニッポンSUPER!』にしろ『あなたがいるから矢口真里』にしろ毎週放送され毎週聴いてました。もう毎週毎週彼女の話を聴くわけですよ。そうするとやっぱり彼女という人間というのが感じられて身近に感じてくる。距離が近い感じがするんですね。だから歌を聴いても説得力があるし。


実際ラジオは松浦亜弥にハマり出したハローファンキャリアの紀元前(僕の中で)から聴いていて、それは番組内で松浦亜弥のコーナーがあるからだったんだけれども、付き合いが長かった。だから矢口ラジオが終わった時の喪失感ったら無かったです。生活の一部というか、ちょっと呼吸みたいになっていたのにいきなり無くなるわけですから。


ただ終了に際して思ったのは、「自分は必ず前を向いて行ける」ということでしたね。それはラジオを通して「矢口真里」という人間を知り教わったことでありました。常に前進。前へ前へ。それが矢口イズム、果ては僕のイズムにもなっていました。

矢口真里」という人間を尊敬し、また愛して止まなかった。


しかしラジオ終了から間もなくして、矢口真里モーニング娘。を脱退。

この日、自分は本当に辛かったですね。もうね、ご飯とか食べれないし眠れないし、考えることは矢口真里のことばかり取るもの手につかず、というマジっぷりなの(笑)それになっちの事件と同じく、僕は当時働いている書店で雑誌「フライデー」を並べなければいけない憂き目にも会いました。


雑誌自体のことはどうでもいいし、あそこで取り上げられたスクープも全然大丈夫だったんだけど、個人的に「脱退の原因になったもの」という意識が強く、それを売るために店頭に並べなければいけない=広めているという行為が僕にとって最高の辛さであったわけで、さりげなく他の雑誌の後ろに隠したりして目立たないように置いたりしてました(笑)


あの件の何が嫌だったかといえば、「わけのわからなさ」が嫌だった。何で辞めるのかさっぱり納得できない説明だったし、事務所の対応もわけがわからない。凄い事件が起こってるのに本当の事はなに1つ見えてこない感じに、やり場の無い気持ちがこみ上げてきて参ってしまいました。どーすりゃいいのかわかんねーよー!みたいなね。


でも、矢口を嫌いになれませんでした。

はっきりいって、嫌いになれたら楽。「死ね!」とか無責任に言ってれば少しは気持ちが晴れるでしょうからね(本当にひどい言葉だと思いますけど)。

反対に美化することもなかった。「脱退の裏には何かがあるんだ」「事務所のせいで」とも考えられない。「復帰嘆願」なんて運動も起きてましたけど、「復帰させてどーするんだよ」って思ってました。


たぶん僕は「今そこにあることが真実だ」って思ってたんですよね、当時。や、一瞬頭の中はぐちゃぐちゃになったんですけど。スクープされたニュース、脱退のコメント、活動未定、それが全て。裏や本当の真実なんてあるわけもなく、そのままのことが起こって今こうなってるんだ、という思考になった。


要は「矢口真里」にああいう部分があるのわかってたんですよね。あの当時を振り返るとそう思う。頭で理解してたというより、心で身体で理解してたような・・・それってやっぱり聴いていたラジオのおかげなんですけども。


矢口さんって不器用なんです、なんか。や、器用なんだけど、たぶん自分のことには不器用なんです、あの人は。努力でもって結果を出すし頭も回るし気も使える。ただ自分のことには失敗しがち。肝心要なところでカッコ悪かったり。

そういう場面て見たことないんですけど、きっとそういう部分があるって体感してた。僕の勝手な幻想かもしれないですけど。


矢口真里には人間的な脆さっていうものがあって、それもラジオの影響が強かったんですけど、人の目に触れる機会が多かった。彼女が脆さという地盤の上に強さが成り立っている人間ってこと、ラジオ聴いてた皆さんはわかってたんじゃないですかね?もしわからなければ、それは矢口真里の中の「アイドル矢口真里」だけを見ていたんでしょう。そういう人にとってはあの事件は「終焉」を意味してたと思うんです(そういうファンの方たちを否定はしてませんが)。


僕はあのラジオや彼女の活動から「人間・矢口真里」を感じてました。弱さがあって強さがあり、強さがあって弱さもある、それって人間そのものじゃないか、俺たちと一緒じゃないか、なんて思ってた。もちろんそういう弱みを見せない姿ってのも尊敬ですが、弱いんだけどそれでも前のめりって所に引かれたわけです。すごく人間味を感じて。


だから応援も罵倒も、出来ないししないけど、理解ができました。「あー、わかる。うん、わかった。そういうことだね」って感じで。

これ、僕の当時の日記です。


この曲が、自分の心の状態と凄い合致したんですね。

矢口さんって(ハローのメンバーもそうですけど)いろいろ失ったものもあると思うんです、仕事やってて。そうして打ち込んできた彼女の仕事、そして彼女自身はまさに「ダイヤモンド」であって、帳消しになることは絶対に無い。で、失ったものを取り返すかのように起こした事件で彼女は思いっきり転んだわけですけど、そういう弱さ強さがある彼女という人間自身が矢口真里の「本当のダイヤモンド」であり「それは誰になんと言われようと離してはいけないぞ、矢口よ!離すなよ!!」って思ったんですよね。


今ではまさに手のひらを返したように矢口を罵倒する人もいるし、不満をぶつけるファンの方や複雑な心境のままの方もいる。でもそういう人達に僕は今一度問いかけてみたいんです。

「人生において、こういう場面ってあるでしょ?」って。


人生において重大な選択というものを迫られる時は誰にだってある。仕事のことかもしれない、恋愛のことかもしれない、その両方かもしれないし、全く別のことかもしれない。その時にする判断っていうのは自分でする判断ですよね。自分の人生だから当然ですよね。苦しい思いをしても、その後逆境に陥ることがわかってても、判断しなきゃいけない、自分の人生だから。


彼女もその判断をしたんだ、と思っています。


「身勝手」「無責任」「プロ意識が無い」。そうですね。でも1人の人間が出した重大な人生の選択に対してどうしてそんなことが言えましょう。

僕だったら自分の判断にそんなこと言われたくない。「じゃああんた、俺の人生の責任取ってくれんの?」って思っちゃう。「あんたの思うとおりの選択して失敗したら、どうしてくれんの?」って。

もし仮に彼女が失敗したって、それも彼女の人生なわけだし。


「人生の選択といっても、矢口1人の娘。じゃないんだよ!」。そうかもしれません。でも人生はいつもそうです。1人だけで人生を送っていることはまず無い。それは矢口だってそう、僕たちだってそう。会社を辞める時「お前1人の会社じゃないんだよ」、恋人と別れる時「あなただけの恋愛じゃないのに」。それと同じ。

モーニング娘。という狭い視点だけで彼女の選択を見てそういうふうに言う人には、モーニング娘。に、彼女たちの歌にいったい何を教わったのかと言いたい。


もちろん、矢口真里に思いをぶつけたい気持ちはわかるんです。ただその前に「矢口真里は1人の人間として、自分の人生においての重要な場面で重大な選択をした」ということを考えて頂きたくもあります。かつて、彼女や、彼女のいるモーニング娘。を愛した方たちには特に。


まぁ、そうやって僕はあの時には何とか頑張れたんですけど、後遺症はやっぱりあって、彼女の歌や姿を見聴き出来なくなった。そのことについて人から「結局嫌いになったんじゃん」と言われたらそれまでなんですけど、僕の中ではちょっと違って。なんか当時のぐちゃぐちゃ感が甦ってくるんですよね。それが嫌だった。


今ではずいぶんリハビリが進みました。もうOKでしょう。彼女の歌声もガンガン聴いてます。ドリーム娘。だってドンと来い。

矢口だってモーニング娘。でした。彼女がやってきたことは帳消しにはなりません。辞め方はきれいではなかったかもしれないけど、それで過去の功績が0になることはない。歌う資格は充分です。本人が「ちょっと申し訳ないなぁ」と思ってりゃええやん。


聴いてやる。いやだっつっても見てやる。耳の穴かっぽじって目ン玉こすって、頭に焼きつけてやる。それで忘れない。忘れてやらねぇ。それが僕の矢口真里に対する報復であり復讐であります(笑)



僕はやはり、矢口真里のファンであります。