星の輝きを集める


ベストアルバムの発売を目前に控えインタビュー記事が何かと多いごっちん。

「自身初のベスト」ということで、デビューから今までを振り返る内容のインタビューが多い印象を受けます。その中で必ずといっていいほど触れているのが「ソロデビューの頃は慌ただしすぎて、時間が早く流れていった」ということ。


13歳でデビュー。

僕が13の頃なんてまだ鼻垂らしてそこらへん走り回ってました。将来の夢とか好きなこととか一切無かったです。

でもその年齢で彼女はプロの世界に飛び込みました。それは大変だったでしょう。「辞めたい」と思ったこともあったと思うし、あまりの大変さに「辞めたい」とすら思えなかったかもしれません。


一般的に芸能界を見ても、後藤真希モーニング娘。加入→『LOVEマシーン』→プッチモニ→ソロデビューあたりの流れというのは一大事件といっていいほどのものでした。


『ゴマキ』


この呼び名はそんな流れの中から生まれたもの。

後藤真希という人間の当時の「記号」でした。


当時のジャケット写真を見るといろんなこと思い出しますよ。そういえば、”不良っぽい”とか見られてたなぁ……とか。もともと、オーディションでも金髪だったしね。


だから、不良とかワルっぽいとか言われても「ま、わからなくもないよなぁ」とか思ってた。家では、普段着でジャージ着てて。そういうカッコも、なんかワルみたいなイメージだったみたいで。あと、ツナギ着てるだけでも”不良っぽい”とか言われて。結局、どーしたって不良っぽいイメージなんだなぁと思って。

かと思えば、プッチモニになったら突然アッケラカンっぽく見られるようになったり。


自分でも気づいてないうちに、どんどんイメージだけがひとり歩きしてるなぁって思うこともありましたね。


ソニーマガジンズ刊『99の後藤真希』 より一部抜粋


巨大で強力な流れの真っ只中、10代半ばの少女は自分を見失いそうになります。

後藤真希って誰?」「ゴマキって何?」「自分ていったい?」

他人が思っているよりまだずっと小さな少女の、小さな叫び。

( `.∀´)<でもなんだかんだ言って、ダイバーでは必ず本音でしゃべってたよね。


( ´ Д `)<そうね。ほとんど素だね。


(0^~^)<うん、そうだね。


( `.∀´)<素でね。あんまりこう、外では見られない姿だったかもしれませんね。


( ´ Д `)<そうだよ。だってこんなふうにしゃべんね~よ? おいら~。


( `.∀´)<アンタね。


(0^~^)<普段ね、テレビでね。


( ´ Д `)<あたしはぁ


( `.∀´)<うん。


( ´ Д `)<はっきり言って


( `.∀´)<うん。


( ´ Д `)<・・・冷めてないよ。


( `.∀´)<(笑)


( ´ Д `)<・・・クールでもないよ。


( `.∀´)<うん、知ってるよ。


( ´ Д `)<・・・セクシーでもないよ。


( `.∀´)<うん、知ってるよ。


( ´ Д `)<うん。・・・子供なんだよ。


( `.∀´)<うん、知ってる。


(0^~^)<そうそう。


( `.∀´)<これたぶんね、「ダイバー」を聴いてくれてたみんなにはわかってもらってたと思うよ。


( ´ Д `)<うん。


(0^~^)<うん。


( `.∀´)<うん。


( ´ Д `)<・・・それがうれしい。



そよ風さん書き起こし ラジオ『プッチモニダイバーV3』最終回 より


それでも耐えた。時には泣きながら、耐えたのだと思います。

彼女には、歌がありました。歌うことで自分を確かめていました。


「見せたがり屋」なんですね、基本的に。早く作って、早く見せたい。そういうのが、小さい時からずーっとあった。家族に「おいしい」って言ってもらいたくて料理を作る、とか。工作とか自由研究では、ちっちゃい木片で家を一生懸命いっぱい作ったりするのが好きだったんだけど。それも、お母さんに見せて「よく頑張ったね」って言ってもらうのが楽しみで作っていたり。


喜んでほしいから、誰かに何かしてあげるのが好き。

そういう気持ちはずーっと変わってないな。


いちばん古い記憶は4~5歳の時。おばあちゃんに料理を作ってあげたら「上手だね、おいしいね」って喜んでくれたんですよ。すっごくうれしくて。それからいつも料理をするようになった。


歌で初めてほめられたのも、確か同じ頃。

親戚が集まる日に、家にあるカラオケで歌って聞かせて。

その時、みんなが笑顔になったり喜んでくれたのが、本当にうれしくて楽しかった。


ソニーマガジンズ刊『99の後藤真希』 より一部抜粋


歌を誰かに聞かせる。応援してもらえる。だからまた歌う。

そうやって新しい自分を見つけてました。作ってきました。


今、後藤真希がどんな風に見えているか。


それをずっと見ていてくれる人達がいないとダメですね。それはスタッフだったり、ファンの人たちだったり。いろんな人たちが、いろんな場所から自分のことを見ていてくれると安心できる。自分だけじゃ、自分のことがわからなくなるから。


(中略)


今は、みんなで"後藤真希"を作っている、という感じなのかな。

ひとりじゃ、何もできないですからね。


ソニーマガジンズ刊『99の後藤真希』 より一部抜粋


応援し、時には叱咤してくれる家族、仲間、スタッフ、ファン。みんながいたからやってこれた。そしてこれからもやっていける。

そして今、『ゴマキ』という当時の「記号」は、本当の後藤真希に何の悪影響も及ぼしません。『ゴマキ』は『ゴマキ』。『後藤真希』はいつでも『後藤真希』なのです。



「でも、やめようかなって思った時あったんです」と明かした。

モー娘史上、単独加入は後藤だけ。グループ内での競争もある中、結束を誇る女の子の輪にたった1人で飛び込むのはかなりの試練だったはずだし、自分だけ振り付けを知らないため短期間で大量の歌と踊りを覚えなければならなかった。本番前日に13時間踊りっぱなしの猛稽古もあった。


「1人ぼっちでホテルに泊まって、1人で電車で移動して、練習して。でもそれがあったから今がある。1人でよかったって思う」。


支えてくれたのはファン。

「心強かった。応援してくれる人がいるから、私もここにいていいんだ、歌っていいんだって確認できた」という。


誰かの思いが星を輝かせた。



*050129 スポーツニッポン連載『Hello! ハロプロ』 より一部抜粋


ベストアルバム。

それは、その時その時の星の輝きを集めた1枚のCDであります。

紛れもない『後藤真希』という人間を封じ込めた、プレミアム。


そしてこれからも星は輝き続けます。


「私は、中学生のときに、『シンガーになりたい』という夢が叶った形になったのですが、それはまだ第一段階で、これから先、どうなるかわからないという意味では、進路や将来について不安がある皆さんと何も変わらないと思うんです。

これは自分自身にも言えることなんですが、もしやりたいと思うことがあるのなら、願うだけじゃなくどんどん挑戦して欲しいですね。


楽しいと思うことをしていれば、毎日が充実して輝いたものになるはずだから。


私もまだまだ頑張ります!」。



都市生活向上マガジン『LIFE UP!』12月号 より抜粋



これからも輝き続ける『後藤真希』という星を、ずっと見守って行きたい。


涙の星』を聴きながら、そう思いました。