病気療養を振り返る

私的なことですが、現在僕は怪我をしていて、治るまで片手が不自由であります。

それでも会社には行っているんですが、思うように仕事が出来るわきゃない。

そこでふと思ったんですよね、「これが後藤真希の病気療養か」と。


怪我をしてから仕事は今までどおりの業務をこなすことが出来なくなり、事務などを引き受けてやっています。それはそれで大切な仕事なのですが、所詮は裏方。僕の仕事はかなりアクティブ&クリエイティブな業種ですから、そういった業務を出来ない状態だと、楽しさも醍醐味も達成感もほとんど失われてしまうんですね。


同僚や仲間は心配してくれてるし、上司はあたたかく僕の居場所を作ってくれている。半ば給料泥棒の状態なのに、会社に出勤することを許してくれています。非常に恵まれていると思います。

ただそれでも、思うように仕事が出来ない焦り、みんなに置いていかれるんじゃないかという不安は、どうしても僕の中で湧いてきてしまうわけです。


こういう気持ち、ごっちんが病気で倒れた時もあったんじゃないかなって思ったの。

いくらいつも「んあ~」ってしててマイペースなごっちんでも、ずっと走り続けてきていきなり走れなくなってしまった時の焦燥感はあったんじゃないかと思うんですよ。走りたいのに、走れない。身体が言うことを利かない。時間が必要。


あーどうしようどうしよう!って思いますよね。騒いだって折れた骨がくっつくわけでも腸が良くなるわけでもないから一応は休んでるんですが、ふとした瞬間に「自分は元に戻れるのだろうか」「また走れるようになった時、走れるのか」「この遅れを取り戻せるのだろうか」と闇が襲い来る。


じゃあそういった時に何が安らぎになり希望になるかっていうと、周囲の心配だったり応援だったり期待だったりなんだと思います。

「人は1人で生きてるんじゃない」

クサイ言葉ですが、真実の言葉でもある。

周りに自分のことを思ってくれている人がいることが支えになり、励みになる。

僕は焦燥と不安とを抱いた後、それを感じた。


きっとごっちんもそうだったと思います。あったかい家族、素晴らしい仲間、素敵なファンがいたからね。


そして今、後藤真希はそのみんなと共に走っています。

先頭に立っちゃったりして、これでもか!と爆発している。


そうなれたのも、きっと病気のおかげ。

あの時、神様が「一旦休みなさい」というサインを送ったんです。

振り返れば、そんなふうに感謝すらできる。


僕も復活した暁には、後藤真希のように爆発しようと思います。

それまでは「んあ~」ってパワーを溜めとこう。