藤本美貴の「歌」

このディナーショーで感じたこと。

それは「歌」に尽きます。

うまく説明するのは非常に難しいのですが・・・。


僕たちファンはコンサートを見ている時、けっこうバックストーリーというものを重ねて歌を聴きます。「○○は歌が本当に上手くなったなぁ」「あの△△って曲をここで聴けるとは!」とか思うじゃないですか。歌の中身よりそのメンバーの成長度合や楽曲にまつわる事情の方にちょっと意識が偏って聴いてしまう時すらある。


それって別に悪い聴き方じゃないし、自由だと思うんです。もともとハローって「物語性」のようなものを楽しむ要素が多いし、良い部分でもある。

でもそれに引きずられ過ぎてしまったら、いったい彼女たちの表現はどこへ行ってしまうのか。僕はたまに、そんな不安に駆られる時があるんですね。


今回、間近で藤本美貴という人の歌を聴く機会を頂いて、そういう不安とは無縁の時間を過ごすことができました。けっこう自分の中では驚くべき体験でした。


彼女ってある意味特殊な経歴を持っています。最初1年くらいソロでやっていて、そのあとモーニング娘。に加入するという逆輸入みたいな経歴(笑)彼女のコンサートツアーは1回きりで、それ以後今に至るまで無いわけです。


彼女のソロコンサートに行った人たちにとっても、行く機会を逃して悔しい思いをしてる人たちにとっても彼女の歌をソロで、ライブで聴くということは悲願だと思います。

今までの彼女。これからの彼女。藤本美貴という人。ずっと聴きたかったという感慨が湧いてこないはずはない。自分もそうなると思ってました、実際に歌声を聴くその時までは。


しかし、僕はいつしか歌を見ていました。

その時間は僕の前から一切の情報が霞んで消え失せ、歌だけを見ていました。歌声は有象無象を軽く越えました。彼女が奏でる歌だけを聴いていました。「藤本美貴」によって表現された歌の世界に入り込んでいました。そこには藤本美貴の歌とそれを聴く僕だけがいた。


歌声、顔の表情、表現される詞の世界。

不思議な感覚でした。本当にその人が歌う歌を堪能できる。純粋に歌を楽しめる。そんな感覚。他には何もない。ただ、歌だけが全て。

これが「音」「楽」ってやつかもね・・・そう思ったりしました。


で、やっぱりそういう歌を聴かせてくれた人っていうのは、ショーが終わっても魅力的なんですよ。「彼女はいい歌を届ける」という確信がある限り、彼女は僕の中で魅力的であり続ける。


また聴きたいと思うし、もっと聴きたいと思う。

その純粋でシンプルな思いが、発信者である彼女と受信者である僕らの間を結ぶ固い信頼関係となっているような気がしました。


藤本美貴

彼女の歌を聴きたい。